【起業までのおいたち】

サザンオールスターズがデビューした1978年に母親が帰省していた愛知県で生まれ、
すぐに、東名高速の厚木インターで知られる神奈川県厚木市に来ました。

今でも覚えていることがあります。
幼稚園の時、髪の長さが肩まであり、「女の子ですか?」と初めて会う人に
毎回質問されていました、小さな男のでした。

■小学校~高校は「挑戦・挫折・気づき」の繰り返し

小学生になると自ら地元の少年野球チームに入りました。
幼稚園の時に長かった髪をばっさり切り、スポーツ刈りにしました。

野球はピッチャーだ!とやる気満々だったのですが、
監督からは「キャッチャーをやれ」と言われ愕然としました。

キャッチャーは地味、怖い、ボールが良く当たる。いいことは何もないと思いました。
あるとき、地元でも有名な強打者の癖を見抜くことができ、打ち取ることができた時から、
キャッチャーが楽しくなってきました。

中学生になると、部活は野球部ではなく、ど素人でしたがサッカー部に入部しました。
入部してから気がついたのですが、地元の少年サッカーチームは強豪だったのです。
そのチームがそのまま中学のサッカー部に入部してきました。

どうしよう・・・

でも入ったからには、レギュラーを取りにいく!
そう決めていたので、みんなどうやって上手くなるのだろう?と観察していると、
地味な基礎練習を毎日繰り返し練習していたので、
みんなの倍の基礎練習をしようと自分に課し、1年間続けました。

ですが、みんなとの差が埋まらない・・・

あるとき監督に言われました。
「大町は走るのが早いから、サイドプレヤータイプだね」
そう言われてから、サイドプレヤーに必要な技術を身につける練習をしました。
練習を重ねた結果、3年生のときにはレギュラーになりました。

3年生最後の大会、全国大会出場を本気で狙っていました。
市の大会は準優勝で県大会へ。

1回戦、勝てると油断していました。
結果は、延長戦で逆転負け。

悔し涙が止まらなかった。

高校でもサッカー部に入部。

サッカー推薦のある高校で、普通科コースで入学したので、
サッカー推薦で入学した同級生とは別扱い。

推薦入学した人は、東京・神奈川の中学校から集められたエリートたち。
普通科でサッカー部に入部した人とはレベルが違いすぎました。

2年生の時、怪我をして練習ができないときにマネージャーの仕事を始めました。
一般的な部活のマネージャーではなく、監督の横でサッカー部の運営に携わるポジション。

チーム全体のことが見えるようになり、プレーヤーの自分よりマネージャーの方が
合っていることに気がつき、レギュラーをあきらめマネージャーの仕事を頑張りました。

3年生、最後の全国大会出場をかけた県予選の準決勝。
相手は、中村俊輔がいる桐光学園。3年間桐光には一度も負けたことがなかった。
結果は、中村俊輔のフリーキックから点を決められ敗退。

高校生でも、全国大会への夢は叶わなかった。


■大学でマーケティングに出会う

浪人時代、志望校選びのためにいろいろな大学の資料を見ていると、
「マーケティング」という言葉に出会った。
資料には、「日本で初めての専門学科、ビジネスの仕組みを学ぶ」と書いてあり、
興味をひかれ、受験して入学しました。

マーケティングの基本からリサーチ、商品開発、価格の決め方など、
毎日新しいことを学べるのが楽しく、マーケティングの知識をたくさん
そんな気持ちで毎日勉強していました。

2年生から「広告論」のゼミナールに所属し、広告業界の最先端マーケティングを学びました。
学べば学ぶほど、広告業界でマーケティングをしたい!と思うようになり、
広告代理店で働きたい!そう思い、就職活動をしました。


■挫折から始まった社会人生活

広告代理店へ就職ができず、中堅のエステ会社へ入社。
入社してから美容知識の研修と渋谷センター街で3日間のキャッチ。

なにやってるんだろう・・・

配属が発表され、新規事業部に配属されました。

新規事業部?何をするのか分からず配属先へ。

配属先の上司から、

「新しい店舗を新しい集客方法で人を集め運営する。
つまり、マーケティングをしっかりやるってことだ。」

この言葉を聞いて、やっとマーケティングができる。
モチベーションは一気に上がりました。

やっと学んだことが活かせる。
でも、現実は甘くなかった。

大学で学んだ知識が全く通用しない。
今まで勉強したことは何だったんだ。

気持ちはどん底。でも仕事は待ってくれない。
開き直ってやるしかない!

配属され時には、お店はオープンしておらず、
まずはお店の存在を知ってもらうために、人通りが多いお昼と
夕方の帰宅時間は駅前でビラ配り。
その他の時間は周辺住宅へのポスティング。

多い日は、1日で1000枚近くのビラ配りとポスティング。

お店が開店すると、ビラを見た人がたくさん来店してくれました。
その光景を見たとき、自然と涙がこぼれてきました。
その後も時間を見つけては、ビラ配りとポスティングを欠かさず1年間続けました。

お店は順調に来店客数と売り上げが順調に上がり、
月商1000万円を超えるまで成長しました。

■やっと広告業界の仕事ができる

中堅エステ会社を1年半で辞め、
転職したのはメールマーケティング事業をしているIT会社。
その中のインターネット広告を販売する部署に転職しました。

やっと広告業界の仕事ができる。
やる気に満ち溢れていました。

インターネットの広告は、バナー広告がメインの広告。
でも、扱っていたのはメール広告がほとんど。

メール広告は地味な広告。
でも、インターネット広告は反応が明確にわかる。
工夫しだいで、反応がどんどんよくなる。
結果がわかるからシビアな世界だが、面白さにはまっていった。

営業の売上もある程度上げれるようになってきたときに、
もっと大きな仕事がしたい。そんな気持ちが湧きあがってきた。

そして、2度目の転職をすることになった。

■広告代理店の世界に触れる

2度目の転職は、広告代理店子会社のマーケティング会社。
この会社では、広告代理店の営業と一緒にクライアント向けに広告のメディアプランや、
マーケティング戦略の提案をしている。

大学生の時から思い描いていた、広告代理店の仕事に携われる。
モチベーションは最初から高かった。

仕事の規模は数千万円から億を超える仕事まで様々。
新しいことに触れる刺激的な日々、必死に仕事をしていました。

仕事にもだいぶ慣れてきたときに、ふっと思ったことがありました。

■本当にやりたい仕事をしているのか?

広告代理店の仕事に携わることができ、充実した毎日を過ごしていると思っていたとき、
ふっとした思いが湧きでてきました。

本当にやりたい仕事をしているのだろうか?

大学生の時から広告代理店の仕事に携わりたい。
その思いは現実になった。

でも、エクセルやパワーポイントと毎日何時間も向き合っている日々。
充実はしていた。でも何かひっかかることがあった。
先輩たちと同じような仕事をするためには、あとどのくらい時間がかかるのだろう?

漠然とそんなことを考えていた。

■出会い

ある日、同じ年で自分でビジネスをしている男性のメイクアップアーティストに
出会った。きっかけは妻からの紹介。

妻がメイク教室に通っていたのも知らなかった。
「同じ年の面白い人がいるから会ってみない?」そう言われたが、
「忙しい」と2回断った。それでも3回目の誘いがあったので、しぶしぶ会うことにした。

事前にHPをみて、もったいないな~と思うことがあったので、
名刺交換をした数秒後から、改善点の話をしていた。

メイクのスキル・センスはものすごくいい。
でも、ビジネスとして成り立っていない。

会社勤めが終わった夜10時くらいから、週2回くらい西新宿のファミレスで
夕食を食べた後、コーヒーを飲みながら翌朝5時まで、彼のビジネスについて
アドバイスをするようになりました。

■会社を辞めて、独立へ

会社勤めと、メイクアップアーティストへのアドバイスという生活を続ける中で、
心に引っかかっていることがありました。

「自分は会社勤めをしていて、アドバイスするなんて無責任」

彼は自分でビジネスをしていて、すべてのリスクを負っている。
一方、自分は会社勤めをしていて、なにもリスクがない。

同じ立場に立っていないのは、無責任だし不公平だな」

そう思うようになり、深夜のファミレスで彼に宣言しました。

「明日、会社を辞めて同じ立場になるからよろしく」

彼は茫然としていました。

翌日、会社に退職することを伝え、2007年7月から個人事業として、
ビジネスをスタートさせました。